表現の不自由とは
ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件
「表現の不自由展」の出発点となったのは、2012年に起きたニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件である。世界的カメラメーカー・ニコンが運営する新宿ニコンサロンで予定されていた韓国の写真家・安世鴻(アン・セホン)さんの「慰安婦」写真展が、電話やメールの抗議がきっかけで急遽中止され、が裁判所の仮処分決定をえて開催に至った。さらに安さんは二度と同じことが起きないよう、ニコンの責任を追及して裁判闘争に臨み、勝訴判決を獲得するという経過をたどった。
ニコン事件から3カか月後、2012年8月末、「新宿ニコンサロンが中止を通告した写真展・東京第二弾」を開催した。ニコン写真展中止事件に対し、市民の力で淡々と表現の自由の場を守れることを示そうという思いを共有した者たちが集まり実行委員会を結成。これに共感し、場所を貸してくだ
さったのが東京・江古田のギャラリー古藤のオーナー夫妻、田島和夫さんと大崎文子さんである。地元・練馬の人々、ニコンサロンの現場に駆けつけた人々など総勢40人ほどが集まった。
不当な極右排外グループの妨害、嫌がらせにどう備えるかについて、さまざまな経験から知恵が出され、それが有機的につながっていった。毎日複数の受付体制、会場内外の見回り体制をつくり、入口では地元の方がクッキー販売するなど和やかな雰囲気をつくった。会期中毎日ゲストを招きトークイベントをすることで、裁判で争う「表現の自由」の侵害についてはもちろん、事件の本質である日本軍「慰安婦」問題、天皇制、排外主義などを考える機会を提供することにした。差別・排外主義に反対する連絡会や反天皇制連絡会のみなさんからは、極右排外グループの行動様式、その意図をくじくための注意点など貴重なサジェスチョンを受け、「受付・警備心得」を作りみんなで共有した。とりわけギャラリーがご自宅を兼ねていることも考慮し、事前に地元警察や区役所とも話し合い必要最小限の対策を講じた。
「自粛」するなというのは容易いが、排外主義が台頭する日本社会でそれにどう抵抗するかと言えば、具体的に市民の力と知恵をあわせ、やればできるという実践の積み重ねが重要である。「主催者、会場提供者の不安をシェアすることが重要」と、現場で直接的な対応を迫られる会場提供者に寄り添う三木譲さんの姿勢は、いまや集会・発表の場の確保にさえ不自由なこの日本社会で大切な抵抗の方法として学んだ。大切なのは、排外主義的な不当な攻撃や妨害の最前線に立つ人を傷つけないよう、守り合う態勢をどうつくるかということだった。
表現の不自由展の誕生
ニコン事件の2ヵ月後には東京都美術館で、ソウルの駐韓日本大使館前にある〈平和の少女像〉のミニュチュアなど「慰安婦」をテーマにした二作品が作家も知らないうち会期四日目に撤去されるという事件が起こっていた。こちらはマスコミには一行も報道されることはなかった。
このように、知らないうちに表現の自由が次々と侵害されている。こうした事態を可視化し、排外主義や性差別、日本の植民地支配責任・戦争責任の否定を背景とした理不尽な攻撃により表現の場を奪われた者たちの表現の場・機会を作ろうという話が、教えてニコンさん!ニコン「慰安婦」写真展中止事件裁判支援の会の間で自然に話が交わされていった。それから二年、裁判のハイライトとなる原告と被告の本人尋問に先立ち、2015年1月18日〜2月1日、各地の美術館などで撤去や規制を受けた作品を集めた『表現の不自由展〜消されたものたち』をギャラリー古藤で開催することとなった。
そのため過去2回の安世鴻写真展と同様に、受付や警備など総勢約80名でつくりあげた。15日間で約2700人が来場し、「不自由さ」を感じている人がこれほど多いのかと驚いた。
私たちがニコン裁判の中で「表現の自由」(憲法第21条)の重要性について再発見させられたことがある。
つまり、「表現の自由」とは、表現する者の自由、観客の知る自由、そして、作品と観客、観客と観客、作家と観客の「表現の伝達と交流の場」の実現を含むということである。
双方向の〈表現の伝達と交流の場〉が確保されてこそ「表現の自由」が守られているという観点は、ヘイトスピーチや性暴力的表現なども「表現の自由」だという主張が成り立たないことの、有効な論証になるだろう。
他者を傷つけるものには「表現の自由」は担保されないし、表現そのものの暴力性を問うことを手放さないことを心に留めつつ、「表現の自由」を侵害する事象がまだまだ続く日本社会で、何が起きているのかを可視化し、事実解明をしていく。タブーを避ける、妨害予告におびえる、組織の論理に縛られる、こうした《自粛》を表現者とともに表現者や市民がどうのりこえるのかを探っていくこと。そして、何が起きたのか、誰がどのように抵抗したのかを記録し、そのことの情報・経験を伝達し交流する場をこれからも持ち続けよう。表現者と鑑賞者がともに《自粛》をのりこえ、「表現の自由」を守るために。